2012年12月30日(日)
23日に「枝璃貴子と気のいい仲間たち」のクリスマスパーティー&コンサートが無事終わりました。第一回目はそれまでの事務所から独立して、自分の教室として初めての発表会だったんです。生徒がひとりしかいなかったので、音楽仲間に声をかけてコンサートをしたわけです。年二回かかさず続けてきて26回目となりました。
門下生の発表、ゲストの演奏、私のミ二ライブと長時間になります。今回は門下生の人数が多かったのでゲストの人数を少なくしました。昔からの仲間、少数精鋭でかえって良かったと思います。門下生の方たちも一人ひとり本番に向かって頑張ってくださったので、皆さん持っている力を存分に発揮することができました。
私はある作曲家から、完全主義と言われたことがあります。自分ではその時「そうかなあ?」と思いましたが、今になってみると自分の置かれた状況、出来る範囲のなかで最善を尽くすという意味ではそうだと思います。音楽活動以外のことでは人一倍ぐうたらなんですけど。
発表会が近づくと、そういうスピリットを知らず知らず門下生の指導にも反映させているみたいです。先日私より年上の門下生の方から、「言葉はやさしいけど厳しい。飲んで帰った夜中も怖い顔が浮かぶので練習している:」と言われてショックでしたが、なるほど!と納得もいきました。常にそれぞれの人を今より少し上に持っていこうと真剣になるし、甘い考えで発表会に臨むと本番で大変なことになると知っているので、そうならないように心を配ります。それが、レッスンを受ける立場からするとそんな感じなのかもしれません。私はちっとも怒ってなんかいないんですが。
でもその甲斐あってか、全体的な雰囲気がとても良かったと大好評でした。それに発表会が終わると必ず門下生のレベルが何段も上がるから驚きです。
それから、出演者のなかに80歳代の方が4人もいらっしゃったということがとても嬉しいことでした。琵琶の舩水さんはもうすぐ87歳、ハーモニカの竹内さん、フラダンスの平山さん、門下生の長谷川さんです。私のとっても希望の人たちです。いつまでもお元気でいて欲しいと願わずにはいられません。
そして今回、私が東北支援のボランティア活動を継続的に続けるということに対して、「枝璃貴子を支援する会」を発足していただいたことを報告しました。オリジナルの「この指とまれ」は私のコンサート活動へのすべての思いが詰まっているので、力が入りました。
おかげ様で、その場で入会してくださった方もいらっしゃって、その後入会のお葉書も届いております。皆様の思いを運んで、何度も被災地で歌って来たいと思っています。
2012年12月15日(土)
前回の続きになりますが、松風さんのご主人の江見俊太郎さんは私の師匠の友人でした。
何度か私のコンサートにご夫妻でいらっしゃって、けれん味のなさを気に入っていただいていました。そしてなにかと声をかけてくださって、江見さんの詩に曲をつけたり、朗読にギター伴奏をしたりしました。
江見さんは特攻隊の生き残りとして帰ってこられた方で、若い時はテレビで初代の眠狂四郎を演じられました。私たちが知っているのは水戸黄門の悪代官などです。晩年はご自身の戦争体験を朗読したり、今の平和が戦争で犠牲になった人たちのうえに成り立っているという内容のお芝居「蒼い空」の公演活動をなさっていました。
江見さんが亡くなられた時間帯、「私の思いと反対の方向に行っている:」というような内容のことを、つぶやくようにおっしゃっている夢を見ました。松風さんは、玄関でいつものように出かける夢だったそうです。どんな意味なのか松風さんに聞いてみると多分NPO法案のことではないか、とのことでした。
江見さんは芸団協の副理事をされていて、NPO法案成立に尽力されました。私のような活動をしている人には良い法案なんだよと聞かされて、私も署名をたくさん集めました。
ところが今回東北支援のためにNPOのことを調べていただいたところ、とても無理だということがわかりました。
「蒼い空」を、語り継ぐ会では朗読劇として公演することになり、私はそれにギターを弾いてほしいと松風さんに言われました。そんな長いお芝居に作曲家でもないのに無理だと言ったのですが、どうしてもと頼まれて台本を手渡されました。正直、途方にくれる思いで帰ってきました。
でも夜中に突然曲が浮かんできたので、起きてギターを弾いてみました。それでほぼ全体を通して曲のイメージが出来上がったのです。
今になって不思議に思うのは、まだ舞が生きていた頃のことですが、通っていた小学校のすぐ近くを江見さんがサンダル履きで歩いておられ、舞の同級生が住んでいるマンションに入って行くところをお見かけしたことがあるんです。その時はまだ師匠のお仲間として存じ上げてはいましたが、直接お会いしたことはありませんでした。まさかその数年後にそのお宅に朗読の伴奏のリハーサルで伺うことになるとは夢にも思っていませんでした。
そして今「語り継ぐ会」で出会った方たちと、なにかと不思議なご縁を感じながら、一緒にお仕事をさせていただいているわけです。
2012年12月2日(日)
11月29日は俳優の冨田祐一さん出演の舞台、水上勉原作、米倉斉加年演出「釈迦内柩唄」、30日には琵琶弾き語りの舩水京子さんが客演した韓国の伝統芸能パンソリの舞台を観に行きました。パンソリの金福実(キムポクシル)さんは韓国の人間文化財です。舩水さんは3年ほど前から毎年客演をしています。
舩水さんのことは、私の関係者の方々は皆さんご存知ですが、「枝璃貴子と気のいい仲間たち」に毎回出演、そして私のコンサートは全部聴きに来てくださっています。
冨田さんは数年前に私のコンサートのゲストとして、宮沢賢治と石川啄木の詩の朗読を、私のギターと歌とのコラボレーションで出演していただきました。
先日のココパームのコンサートに来てくださって、石巻の震災の短い詩を持って来られ、飛び入りで朗読をすることになり、私も即興でギターを弾かされました。とても大好評でした。そして、打ち上げの時に啄木の研究者が新説を唱えているということを教えていただき、是非来年にでも、それをまた一緒にコラボしようということになりました。
冨田さんの舞台は久しぶりにお会いする、元宝塚出身の女優さんである松風はるみさんと一緒に行きました。今は70代ですが、東映で美空ひばりさんと一番たくさん共演した女優さんです。早めに待ち合わせて食事をしながらつもる話をたくさんしました。松風さんも30代の頃に卵巣腫瘍の手術をしています。6〜8センチぐらいの大きさの時にねじれやすく、激痛に襲われるのですが、私はその大きさだったので、そうなる前に手術を急いだわけです。ところが松風さんはちょうどその頃、京都で忍者の役で飛び回っていたので大変なことになったんだそうです。術後3年くらいは脳が認識しないために、脳が混乱してなにかと身体の不調が起きるということです。すぐもとどうりになると思っていたのは甘い考えでした。しばらくは少し仕事を減らそうと思っています。
冨田さん舩水さんとは、松風さんのご主人で俳優の江見俊太郎さんが9年前に亡くなられて、晩年まで舞台に掛けられていたその意思を語り継ごうという「語り継ぐ会」の公演に私が音楽担当で呼ばれて出演したのがきっかけで、知り合いました。
長くなりますので、続きはまた後日にいたします。
2012年11月21日(水)
16日は年2回のペースで続けてきた、ココパーム12回目のライブコンサートでした。
ライブハウスとしてお店の雰囲気もよく、私にとってもホームという感じでほっと出来ます。
コンサートでも、ホームとアウェイがあるんです。お客様もたくさん来ていただき、充実感を感じました。MCもなごやかに話しかけることができます。曲のジャンルもできるだけ様々な歌を歌うようにしています。以前はどの曲がよかったとか、どの曲は向いてないとか感想を言ってくださいましたが、最近はそんなことがなくなってきました。私が歌うなら全部いいと言っていただくことが多くなってきました。それは決して自慢というのではなく、ホームであれば上手い下手じゃなく、私を全部受け入れていただけるようになってきた事なんだと思っています。
それにひきかえ、アウェイでのコンサートは大変です。求められていることを的確に判断し、選曲、MCを考えなければいけません。昔はたくさん失敗しましたが、今は対応できるようになってきました。
ココパームのコンサートのなかで、気仙沼のコンサートのことをたくさん話しました。
震災直後は何より物資が必要でした。それが少しづつ足りてきてからは、音楽などのボランテイアが喜ばれました。特に有名人などが行けば感激も大きかったことでしょう。でも、一方では
アマチュア的な音楽ボランテイアもたくさん行ったことと思います。そのうちに、音楽はもうたくさんという感じになっているということを、事前に情報として聞いていました。実際あの町の光景を見たら、一体いつになったら普通の暮らしができるのかという絶望感が漂っていて、音楽どころではないと思うのは当然だと思いました。
ココパームのコンサートでは気仙沼のことを思い出しながら、ムスタキの「傷心」と、グノーの「アベマリア」を一番心を込めて歌いました。
気仙沼の福祉の方や、代表の方たちから、もっとたくさんの人たちに聴いてもらいたかったと言っていただき、「また来ていただけるなら違う方法で考えます:」というメールなどをいただいています。
ボランテイアに対して固く閉ざしてしまった被災地の方たちの心を、少しでも和らげることができるか、私は試されていると思います。
2012年11月12日(月)
気仙沼から帰って一週間後竹の塚で、弾き語りサークルが毎年出場している竹の子文化祭があり、11月10日は武蔵野高齢者総合センターの文化祭がありました。
竹の子文化祭のほうは、ホールが大きいので、いつも音量のことが問題になります。
太極拳やダンス、カラオケなどのグループは大音量なので、クラシックギターや私たち弾き語りは、ぐっと音量が弱くなってしまいます。何年か前のリハーサルの時、グループのひとりひとりにマイクを置いてみたところ、まだ技量がないときだったので、うまく弾けてないのが丸出しになってとんでもなかったので、それ以来マイクは全体の音がまとまって入るように、離れた所に3本くらい置くようにしていました。まとまると綺麗に聴こえますが、音量が弱くなるのは否めませんでした。
ところが今回は7人なので、リハで試しにひとりひとりにマイクを置いてみたところ、良かったので、本番も全員使いました。音量で損をすることなく、好評に終わることが出来ました。どうしてか?それはみんなが上手になったからです。
高齢者センターは小さなホールで、出し物も合唱やバイオリン、朗読、マジックなどで、全体的に軽くマイクを使っているだけなので、そういう心配はありませんでした。
去年6ヶ月お試しでギター講座を引き受けて、今年から正規の一年間の講座になりました。
問題だったのは、入門講座であるのにもかかわらず、25人のうち半分以上が弾ける人たちで、半分以下の人たちが初めてギターを手にする人達だったことです。4月から始まって、文化祭まで11回しかなかったので、それを一つの合奏団にして出場させることは、至難の技でした。
でも初心者の人たちはめげずに頑張ってくれて、できる人たちはあまりよく見てあげられなかったんですが、そのなかでも上手い人が教えてくれたりしてくださったので、なんとか間に合って3曲合奏することが出来ました。
ようやくひと安心するまもなく、あとココパームのコンサートまでなんと、3日しかありません!
2012年10月24日(水)
10月21日は気仙沼のコンサートのため、整体の会社大勝さんのマイクロバスに便乗させていただくことになり、20日の朝早く出発しました。少し前の天気予報は20日、21日あたりに東北が台風の進路になっていて、もしかしてバスが台風と一緒に走っていくことになるのかな,と思っていましたが、そこは強力な晴れ女の私のお陰か? とても良い天気になりました。
なんと社長さんが運転されていたので、びっくり。そしてメンバーは、この計画を立ててくださった顧問のAさんと整体師さんが5人、カメラマン、私とパートナーの本田の総勢10人です。21日の始発の新幹線で山科さんが手伝いに来てくれることになりました。帰りは一緒です。
翌朝会場となる南町紫市場の「かどっこ」に行きましたところ、すべてガラス張りで中も外も全部見える建物でした。私は1:30からでしたので、二階のPAがある物置き場から、一階で整体をしている様子や外の様子をずっと眺めていました。紫市場のテレビの時に紹介されていた副理事の坂本さんが私のCDを外に向けて流してくださいました。
ところが、8月に下見に行ったときの人っ子一人いないという感じが、今回もそのままでした。
町全体が、テレビで報道されているイメージとは程遠い寂しさです。時折地元の方がポツリ、ポツリと歩いているとスタッフがお誘いして連れてくるという具合です。あとは観光客が少し通りかかる程度です。やはり町に住民が戻ってきていないということ、引きこもっている人が多いという情報は本当だったとあらためて実感しました。
そんなわけですから、必然的にコンサートのお客様の人数も少なかったわけですが、私なりには準備していった内容で頑張りました。只感じたことは、地元の皆様の心は想像以上に疲弊していて、その心を開いていただくには生やさしいことではないということを強く感じて帰ってきました。
でも当日会場に向かうバスに乗っているとき、少し雨が降っていたのですが、「大丈夫、(晴れ女の)私がバスから降りた時には晴れるから:」と半分冗談で言っていたのですが、降りた時、晴れているばかりか、大きな虹がかかっているではありませんか!
だから私たちは気仙沼に歓迎されているんだと思います。
長期的に捉えて関わっていくことが必要だという思いを強くしています。
2012年10月4日(木)
このところニュースになっているいじめ問題がまだ続いていますね。
十数年前に中学生の自殺をきっかけに大きな社会問題になりましたが、その時に作った歌が「尊い君へ」です。なんとか子供達に自殺をするのを思いとどまらせたい一心で当時デモテープを作りました。各方面に働きかけましたが、力不足で広めることができませんでした。
その後、命をテーマにしたコンサートで歌ったりしました。それを聴いた中学生数人から、「いじめを受けていて、自分なんか生きていないほうがいいと思っていましたが、枝璃さんのようにたくさん苦労しても他の人のために一生懸命になっている人がいることを知って、自分も頑張ろうと思いました」というような内容の作文やメールをいただいた経験があります。
今は当時と違ってインターネットに歌を入れられる時代になりましたから、なんとか若い子たちが聴くようなサイトに入れたいと思いましたが、よくわからないので結局ユーチューブにということになりました。
問題は、今ある「尊い君へ」のCDは十数年前のデモテープをCDにしただけのものなので、歌い方が今と全然違い、綺麗に歌いすぎていて言葉が伝わりにくいんです。今の語りかけるような歌い方でCDを作り変えたいのですが、すぐにできることではありません。
そこで自宅でICレコーダーで録音するしかない、上手い下手はこの際関係ない。思いを伝えることが最大の目的なんだから、と心を決めました。
まず第一の難関は、コンサート用のギターは修理中で使えないので、自分の最高の音は出せないということ。それにまだ暑い時でしたが、クーラーの音が入るので、クーラーは使えないこと。電話などはならないようにして、いよいよ録音開始しました。一回目は最後のところで、声が一瞬ちょっと変になったので、惜しくも消去。レコーディングだとその部分だけ録り直しがきくんですが···。2回目、気を取り直して再録音。終わり頃にさしかかったときになんと!外で5時を知らせる「夕やけこやけ」のチャイムがなり始めたではないですか。それでもバックの音として弱く入っているだけなら、自宅で録音している臨場感がでて、かえっていいかもしれないと思って、録音を聞いてみると、バッチリ入っていてダメ。3回目で無事終了ということになりました。
そしてユーチューブにアップするのが自分では出来ないのでいろいろ検討しましたが、結局いつものように藤富さんに仕事がお休みの日に家に来ていただいて、ようやく一週間前にアップすることができました。動画にしなかったせいか、枝璃貴子での検索では出てこなくて、曲名か、いじめの歌という関係でしか出てきません。それなのに、さっき見たら57件になっていました。まだほんの数人にしか言っていないので、私を知らない人が50人以上聴いてくれたことになります。どんな人が聴いてくれたのかなと思わずにはいられません。
2012年9月28日(金)
気仙沼のコンサートは10月21日に決まりました。
今回は支援についてお世話になっている方のご紹介で、整体の会社「大勝」さんとのコラボレーションをさせていただくことになりました。10:00〜12:30が整体で、1:30〜3:00までがコンサートです。
「大勝」さんは震災からまもなくの頃、さいたまアリーナが福島の被災者の方々の避難所になったときに、いちはやく整体のボランティアを実施されました。
先日社長さんとお話できる機会がありましたが、40代くらいの方で、しかも昔ギターを3年くらい勉強されたこともあるとのことで、とても楽しく会話をすることができました。感性豊かな素敵な社長さんでした。
先日NHKで、ちょうど会場になる南町紫市場のことを紹介していました。まだ町には元の住民は戻っていないため、商店街のお客さんは、ボランティアなどで訪れる人々が対象だそうです。
そして、いろいろ前向きに頑張っている方々のことも取材していましたが、まだまだ元気をなくした人たちは家から出てこないとおっしゃっていました。
私自身苦難の多かった人生経験の中から紡ぎ出すお話と歌が、皆さんのこれからの歩み
に少しでもお役に立てればいいなと思っています。
2012年9月16日(日)
仙台に一泊して翌朝、酒田に向かいました。山科さんとは新庄まで一緒だったので、なにかと助かりました。
酒田は生まれ故郷ですが、この二十数年間のうち、1度しか行っていません。両親がその位前に東京に越してきたので、実家がなくなったからです。ところが4年前に東京での高校の同窓会に上京された教頭先生が、母校が110周年記念にあたるので、私に公演をしてくれないかと言ってくださったのです。当時山形県の教育のテーマが「命」に関するものであったので、そんな内容の話を織り交ぜながらのコンサートをということで、私にとっては光栄な依頼で、有難く受け止めさせていただきした。それまでで一番内容を練りに練ってコンサートに臨み、皆さんに喜んでいただくこともできました。生徒以外に父母会や、同窓生等も集まりましたので、同級生たちや従妹たちとも再会ができました。それ以来の酒田行きです。
今回は一番年の近い従妹に手術をしたことを電話した時に、どうしても3日位酒田に来るように言われて実現しました。
酒田での私の人生は傍目にはギターの先生のお嬢さんということで、幸せそうに見られていましたが、実は家庭の内情はすごい波乱万丈で、なつかしさよりほろ苦さのほうが強いものでした。だからずっともう私には故郷なんか関係ないと思って過ごしてきました。
でも今回従妹とたくさん話し合うことで、お互いによく理解しあうことができ、他に父方のずっと年上の二人の従妹たちもすごく歓待してくれて、幼いころの思い出話をしたり、ぐっと心の距離が近づいて、楽しく過ごす事ができました。
それから同級生たちも集まってくれてランチ会を開き、再来年の同窓会で、私が歌うことを頼まれていますが、その翌日にコンサートをするという話もまとまりました。
私には故郷なんかないと閉ざしていた心がすっかり消えた東北の旅となりました。
そして気仙沼のコンサートの内容もいろいろはっきりしてきています。次回そのことを書くことにします。
2012年9月2日(日)
前記で書きましたが、8月26日早朝、私の関係者たち5人と共に気仙沼に出発しました。一ノ関まで新幹線、一ノ関からはレンタカーです。
お昼頃気仙沼に着き、どこかで食事をしようということになり、食堂を探しました。駅から続く商店街は日曜ということもあってかすべてのお店が閉まっていて、人っこひとりいないという状況でした。途中、コンビニとドラッグストアは営業していましたが、町はずれまで行ってみると、たくさんの提灯が見えてきました。仮設のお店が集まっている所でした。
そこでようやく「まかない飯」を食べることができました。そこは来年にはなくなるとのことです。一番最初に俳優の渡辺謙さんが来られたそうで、サインがありました。それを中心に壁いっぱいサインだらけで、私たちもやっと見つけた隙間に書いてきました。
それから福祉センターに行き、いろいろ打ち合わせをしました。その結果、当初9月にコンサートをすることになっていましたが、地元の新聞や、機関誌などにチラシを入れたほうがいいということになり、その日程の都合で10月に変更になりました。
その後、あの一本松と、陸に打ち上げられた船を見に行くことができました。船の下に車がつぶれていて、その津波の恐ろしさをどんな言葉で表現していいか、今私にはわかりません。
夕方、他の人たちは東京へ帰りましたが、私は山形県の酒田、山科さんは新庄に行くために仙台でみんなと別れて、仙台に一泊しました。(次回へ続く)
2012年8月25日(土)
19日に「枝璃貴子と気のいい仲間たち」のコンサートが無事終わりました。今回は門下生たちがすごく頑張り、ゲストの方たちもいつもながら力を入れてくださって、全体的にレベルアップしたような感じです。お客様も初めての方も多く、とても楽しい会となりました。
そして明日からいよいよ私が熱望していた被災地でのコンサートの下見と打ち合わせに出かけることになりました。今回の病気で入院中に思ったことは、私がやりたいコンサートは普通のコンサートではなく、心が脱水状態になりかかっている人に、私が水になるコンサートだということです。はっきりと自覚しました。
そんななか、関係者の方たちが動いてくださったおかげで、まずは気仙沼ということが決まりました。しっかりと打ち合わせをしてきたいと思っています。
2012年7月28日(土)
21日は音楽家ユニオンフリーポピュラー部門主催の「続・がんばろうコンサート」でした。
昨年3月にミュージックの日コンサートを企画していたところ、大震災が起きて中止になり、7月に「がんばろうコンサート」に名前を変えて開催しました。それが成功することが出来、義援金を送ることもできました。
私はフリーポピュラーの幹事でもあり、出演者でしたが、今年も開催しようということになりました。9組がそれぞれ30分出演ということで、私も再び「枝璃貴子と仲間たち」として参加しました。メッセージソング以外に一曲、仲間の白土さんと「灰色の瞳」をチャランゴ入りでデュエットしたのが好評でした。最後の2曲は門下の山科さんと「円むすび」の有志たちと一緒に思いっきり復興に向けての思いをひとつにして、みんなで歌いました。
そして今回2曲目に、震災で心が疲れ果てている人を思って作った「ひとやすみ」というオリジナルを歌う予定でいましたが、3日前に急に曲を変更することにしました。今いじめ問題が報道され始めましたが、十数年前にもそんな時がありましたね。そのときに、一人でも自殺したいと思っている子を思いとどめさせたい気持ちで作った「尊い君へ」と言う歌があるので、急きょそれを歌うことにしました。
結果的に良かったと思います。出演後にCD売り場にいたところ、たくさんの方が感動したとおっしゃって、{尊い君へ」のCDを買ってくださいました。
ただ、十数年前に歌っているCDで、今と説得力がだいぶ違うので、今の歌い方でレコーディングできたらいいなと思っている今日このごろです。
2012年6月12日(火)
昨日手術後初めてのコンサートをしてきました。
新座美術協会10周年記念のイベントに、オープニングコンサートを1時間ということで、演奏させていただきました。
退院直後は日に日に良くなる感じでしたので、楽勝で出来ると思っていましたが、なんと開腹手術とはそんなに甘いものではありませんでした。まず歌うと腹筋を使うので、軽く歌ったつもりでもすぐにお腹が痛みます。長く立っていたり、歩いたりしてもあとでお腹が痛みます。自転車はやっと今少しづつ乗り始めたところです。
そんな状態で数日前に本番どうり全曲を歌ってみたら、いつもは1時間くらい全然平気なのに、半分くらいで疲れてしまい、これは当日休憩を入れないとだめかな?と不安になりました。
でも少しづつよくなるもので、昨日はバッチリ決めることができ、ほっと一安心しているところです。
企画して下さった画家の近藤さんから、大変評判が良かったというメールをいただき、滑り込みセーフでしたが、ほんとによかったと思っています。
2012年5月11日(金)
前回「ようやくエンジンが」を書いた3日後にエンストを起こしました。夜中に腹痛があったので、いろいろ検査をしたところ婦人科の病気が見つかり手術をすることになったのです。今にしてみれば、昨年の暮れあたりから1月、2月と、なんか体調が悪くてコンサートをする意欲が湧かなかったのはそのせいだったのかと思い当たります。
それならば、6月のコンサートに間に合わせるため早い方がいいということで、26日に手術、
そして5月3日に退院してきました。普通は1ヶ月位はどうにもならないとお医者様がおっしゃっていましたが、もう随分良くなっていて、14日からレッスン再開です。
急なことだったので、サークルの発表会、サークルの老人ホーム慰問コンサート、それから武蔵野市のギター講座など、中止できない事がいろいろあったんですが、私が行けないということで、皆さんがとても精力的に協力しあって乗り切ってくれました。その様子の報告をほんとに嬉しく、楽しく聞かせてもらいました。
今回身にしみて感じたことは、入院した河北病院産婦人科病棟の看護師さん達が素晴らしかったことです。若い方たちなのに、心から思いやりを持った接しかたでした。どんな些細な問いかけ、心配ごと、訴えに対してでも親身に向き合い必ず答えを出してくれて、後々まで気にかけてくれていました。
私が40歳過ぎてから心が入れ替わり、悲しい人苦しい人のために歌いたいと思う様になったのとは比べようがないというか、ご本人たちは意識していないと思いますが、毎日それを実行していることは、とても尊いことだと思いました。
2012年4月3日(火)
3月27日ココパームのライブで、今年のコンサート活動を開始しました。今年は少し長めの充電期間を取ってみました。その効果はあったように思います。ギターの練習期間が充分あったので、余裕を持って歌うことが出来ました。今回は初めて来て下さったお客様が多かったのですが、皆様にとても満足していただいてホッとしました。これでようやくコンサート活動への意欲がわいてきて、エンジンがかかった気がしています。10月に武蔵野スイングホールでコンサート、8月に「気のいい仲間たち」の予定をしています。日程については、もう少しで決まります。
そして、昨日から武蔵野高齢者総合センターでギター講座が始まりました。
昨年、臨時的試みとして、六か月間ギター講座の指導をしましたが、今年から正式に一年間ということになりました。応募多数の中から抽選で25名の定員で始まりました。昨年の講座が終わった時、もっと続けたいと言っていた人たちも抽選なので、大丈夫かと心配していましたが、数名なつかしい顔ぶれが出席していました。私も嬉しかったし、みんなもニコニコでした。
4月から各方面で新年度がスタートしていますが、私もめずらしく世間の流れにのって、今年度のスタートを切った気分です。
2012年3月11日(日)
震災からちょうど一年ということで、テレビでは特別番組がたくさん組まれていました。お蔭で私もテレビの中の天皇陛下とご一緒に黙とうを捧げることが出来ました。今日は作業しなければならない仕事がたくさんあったのですが、ついついテレビに釘づけになることが多く、予定の半分も出来ませんでした。でもそんなことよりもずっと大事なことが、胸一杯に満ちています。
特に興味を惹かれたのは、被災した高校生たちです。その姿、表情、考え方、言葉に感動しました。私が二十年程前に絶望から立ち上がった時と重なります。、わずか十七、八歳ぐらいでそのような境地に達していることに驚きます。やはり、大きな困難は人の心を成長させるということを示してくれました。
午前中、ソフトバンクの孫正義さんが出演されていました。震災のときの映像を見ながら、涙が止まらなかったようです。携帯が繋がらない状況になったこと、繋がっていれば命を落とさないで済んだかもしれない人達のことについて、十字架を背負ったと表現していました。だから100億円の私財を寄付したのかと、あらためて納得しました。そして電気がないと、携帯の大元もだめになるということから、自然のエネルギーによる発電に取り組み、モンゴルのゴビ砂漠に拠点を作る計画を進めているというお話をされていました。だれになんと言われようと、思ったことに突き進んでいく行動力は素晴らしいと思いました。
新曲を作りました。去年作った「ひとやすみ」という曲を、新しい部分を加えたりして作り直しました。テレビではあまり報道されませんが、震災による絶望から立ち直れていない人達もたくさんいらっしゃると思います。そんな方々に聴いていただきたい内容です。でもコンサート活動には、ある程度の資金がないと動けないということもあるので、いかにしたら届けられるのかと、もどかしいです。とにかく私も、元気を出してがんばりましょう。
2012年2月29日(水)
今年はコンサート活動を少し遅めにスタートすることにして、充電期間を取ろうと思いました。
でもたいしたことも出来ないまま、気がつけば3月27日のライブコンサートの一か月前になってしまいました。ようやく曲目を決めて練習に入ったところです。新しい曲も数曲あるので、急にあせってきました。でも、しばらく練習を休養したせいか、いつものレパートリーの曲も少し違う感じに歌えるようになっていることに気がついて、面白い気分で練習が出来ます。ほんとに音楽や芸術はどこまでも進歩は止まることがなく、終わりがないものだと実感させられます。
2週間程前、ワイドショウで知って驚いたのですが、確か小学校で、ということだったと思いますが、今度ダンスの授業を取り入れることになり、それがヒップホップなんだそうです。それで、先生たちが急にヒップホップの練習をしなくてはならなくなり、すごい大変そうなところが映し出されました。どんなジャンルでもそれぞれの難しさ深さがありますから、急に義務として練習させられる先生たちは気の毒な感じがしました。
どうしてヒップホップに限定されたのか理解できません。スポーツ用品店ではヒップホップ用のシューズがたくさん用意されていました。好き嫌いで言うわけではありませんが、ダンスの種類はたくさんあるわけですから、何種類かの基本的なことを教えたほうがいいと、私は思います。音楽で言えば、ラップだけ教えることになったという感じです。こんな偏ったことでは、日本の文化レベルがどうなることかと心配になってしまいます。そのワイドショウに出演されていた数名の政治家の方々も、それぞれ、「それはおかしい:」と言うコメントでした。それでもその後話題にも上らないんですね。
最近は、大学を出ても英会話ができないのはおかしいということで、英語の教育方針を見直すようになっていますね。実は音楽でも同じようなことがあって、大学を出ても音符が読めないということが多く、それもおかしいことですよね。やはり小中学生には、いろいろな分野の基本をしっかり教えることが将来の日本のために大事なことではないかと、気を揉んでいる日々です。
2012年1月29日(日)
昨年風邪をひいて以来、半年ほど苦労してきた、鼻くう炎による声の不調がみるみる良くなってきました。その時の湿度などの状態によって、とんでもない声になるので、コンサートのたびに心配でなりませんでしたが、なんとか本番はセーフという状況でした。そんなわけでコンサートはもっと良くなってからと思い、3月スタートにしたわけです。ところが、1月13日竹ノ塚のサークル指導をしている時、普通に歌えているのに気が付きました。前日までは今イチだったんです。ほんとに突然治ったという感じでした。それ以来、本来の声が普通に出せるようになっています。普通に出せることのありがたさが身にしみています。それだけで感謝です。
先日テレビで、脳の老化度を計るテストと、老化を防ぐ方法を取り上げていました。その方法の殆どが、私が日頃ギターの弾きがたりをしたり、弾き語りを指導させていただいていることが、そういうことに匹敵していると気が付きました。時間に追われて大変だと嘆くことではなかったんです。年齢が高くなるごとにそういう仕事が増えているということは、なんて有難いことだったんでしょうか。感謝です。
今日、仲間のSさんのお宅に行ってきました。ご両親が私の大フアンと言ってくださって、コンサートにも何度かきてくださいましたが、ご高齢のうえ、ご病気をなさったりで、コンサートへはもう来られなくなっています。それで、ギターを持って伺いました。お父様は今年で95歳で、数年前に癌の大手術をなさったのに、とてもお元気でした。中国人のお母様と知り合ったのが戦争中ということで、軍人としての戦争の話、正式に結婚するための多くの障害など、まるでドラマのようなお話を詳しく聞くことができました。そのなかに何度も出てきたのが、「そのお蔭でこうなることが出来て」という苦難を良い方に捉える感謝の言葉でした。だからあんなに穏やかでお元気なんだと思いました。
私も心を込めて数曲歌い、大変喜んでいただくことが出来ました。もう両親がいない私も、なんだか懐かしい心温まるひとときでした。感謝です!
2012年1月8日(日)
新年あけましておめでとうございます。
昨年末は臨時的な雑務が重なり、年賀はがきも買わないまま、あっという間にお正月に突入してしまいました。そんなわけで、今年は年賀状ではなく、特別に新年の挨拶状的なものを、これから作ろうと思っているところです。
昨年の後半は身体の不調に振り回されましたが、ただお医者さんだけを頼りに薬を飲んでいるだけではだめだということを身をもって知ることができた貴重な体験でもありました。
自分自身の免疫力、自然治癒力を高めるような努力が今の私にとって一番必要であることがわかりました。
元日から生活習慣を改め、友人から聞いた効果的な食品の摂取等を始めたところ、いい結果が出てきています。こんな短期間で良くなっているのですから、ずっと続ければきっと体質改善も期待できそうです。
今年のコンサート活動は3月27日のココパームから開始しますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。